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男だけの育児

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原題: The Velveteen Father An Unexpected Journey to Parenthood
著者: ジェシ・グリーン
翻訳: 伊藤 悟

内容紹介: 全米でベストセラー! 『ロサンゼルス・タイムズ』『チャイルド・マガジン』ブック・オブ・ザ・イヤー受賞

ゲイ・カップルが問う本物の親になる方法。繊細にして剛健。

ニューヨークで活躍するゲイの人気作家による渾身の子育て記。

ゲイの父とその養子が、親子の絆を結ぶまでの軌跡。

なぜ、みんなが、私たちにニコニコ微笑むのだろう。ゲイが見知らぬ人から温かくやわらかい感情を引き出すなんて、大都会でさえも、私の経験にはないことだった。(中略)エーレズなのだ。私たちは、かわいい赤ちゃんの「後光」に守られたふたりの幸運な人間だったのだ。その「後光」は、私たちが何者かを隠してくれたし、私たちを守ってくれた。とにかく、私たちは、もうゲイではなかったのだ。……本書第1章より(飛鳥新社)

感想: ストーリーを楽しむというより、まさに軌跡を辿っていくといった本と言えるだろう。

ジェシはゲイでありユダヤ人。友達のパーティーで同じアンディという一回り近く年上の男性と出会う。アンディは男の子を養子にとっていた(名前はエーレズ)。そして、ジェシはアンディに恋をし、この軌跡は始まっていく。

まっさらな状態で、自分の身に変えて考えてみた。ゲイであり、そして養子をとる。日本でだと、ゲイの結婚を法律的にも成立させたいというカップルが養子縁組をしたりするが、それとは話が違う。文字通り、子供と法的に親子関係を結ぶからだ。

これは、日本では可能なんだろうか? 孤児院のようなところから養子縁組とか。両親揃ってるのが基本だと思うけど。可能だとして、手続きは? 待てよ。偽装結婚して、養子縁組して、そして離婚したらどうなる?

正直、恵まれない子供たちがいることを思うと、自分が引き取って立派に育てたいと思うことがあるのだけれど、現実問題、それには壁があり過ぎて、まず無理と断念せざるを得ないのが現状ではないだろうか。

養子縁組をひとつとっただけで、煩雑な手続き等々が迫ってくる。制度が出来上がったとしても、やはり相当の段階を踏まねば成立しないと考えるのだ。

仮に、このアンディのように養子をとったとしてみよう。独身男がいきなり親になる。それは、父親か? それとも母親か? 友人知人は、いきなりの変化に自分をどう見るだろう。世間は? 小児愛として、変態扱いにするのか?

独身男性という一個人が養子を仮にとれたとしても、さまざまな問題が生じてくるのが容易に想像できる。些細な偏見から、ヘビーなものまで。そして、それが自分のみならず、子供にまで及ぶとしたら……

だが、さまざまな偏見や困難を乗り越えて、ジェシはアンディのパートナーになろうとしていく。そして、ジェシは、自分とアンディとの関係は勿論だが、それ以上にアンディの養子であるエーレズとの関係に右往左往する。法的にも養子縁組をしたのはアンディで、自分はただのアンディの恋人でしかない。でも、アンディとパートナーとして関わっていく以上、エーレズとの関わりを無視することは不可能だった。それで、ジェシはどういうのが一番お互いにふさわしい関係なのかと思案していくことになるのだ。

この悩みは、素直に自分に置き換えて考えることが出来る。彼氏には既に子供がいたという設定の中で、恋をするというのは現実にもままあるのではないだろうか。結婚した後に自分がゲイであることに気付く者もいるのだし。

子供がまだ幼いとして、どうだろう。やはり、彼氏が断らない限りは、その子供に愛情を注いで行くのではないだろうか。ただ、養子縁組の場合は、母親の存在は影に隠れることになるけど、離婚した男性との恋の場合は、どうしても母親の存在が気になってしまうのがちときついかも知れない。

それでも、彼氏の子なら、自分も同様に可愛がってあげたいという気持ちが自ずとわいてくるような気がする。

そして、ふたりでその子に関わったとしよう。自分はその子にとって、どういう存在になるのだろうか。いや、どういう存在であるべきなのだろうか。だって、親は彼氏であるわけだし、ということは、自分はただのオッサン? ふたりで育てた挙句に、彼氏と別れることになったらどうなるのだろう。

ジェシも思い悩む。だからこそ、アンディのパートナーになることに、初めは慎重だった。だが、一旦絆が生まれると、ジェシの目はエーレズに向っていく。そうして、自分も『親』であろうと努力していくのだ。

翻訳者の伊藤氏(『すこたん企画』主催者:現在は『すこたんソーシャルサービス』)も説明されてるように、原題の『The Velveteen Father』は、『ビロードのうさぎ』という本のタイトルと重ねられている。ビロードで作られたぬいぐるみのうさぎが、自分を本物だと言って愛情を注いでくれた男の子との別れのとき、奇跡が起こって本物のうさぎになるという話だ。

つまり、ジェシはまだ今の自分は本物の『親』ではないとあれこれ思い悩む。だけれども、男の子がぬいぐるみのうさぎを本物と呼ぶように、ジェシはエーレズやその後養子となったルーカスから見れば、アンディと同様に『親』であることに違いはない。そこには、父親か母親かといった呼び名つまり役割を越えて、とにもかくにもふたりにとっては『親』なのだという現実が存在する。だが、そんな中で、ジェシは『本物の親』になろうと思い悩み努力していく。

この本には、そういうジェシの姿が、心の内が、素直に隠されることなく語られている。

だが、本物のうさぎならぬ『本物の親』とはどういう親を言うのだろう。初めから親である者、立派である親などという者はいない。繰り返すけど、男の子がぬいぐるみのうさぎを本物だと言うように、ふたりの子供がジェシを親と言えば、ジェシは間違いなくふたりの『本物の親』であり得るのではないだろうか。その中身は、後からついてくるもので、初めから与えられているものではない。

そして、何よりぬいぐるみと男の子の間にあったもの、つまりは『愛情』の存在こそが、その絶対条件なのであって、それが、欠如したような出来事が多い今の世の中を思うと、ゲイであることも、ユダヤ人であることも、子供を育てること(子供の成長)には一切関係はないのだ。我が子に向ける真っ直ぐな愛情こそが、『本物の親』であることの条件だ。ジェシの奮闘ぶりは、それを身を以って教えてくれているのである。


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